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恋する城端

2008/08/08
まず、今回の水害の被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。
また、復旧ボランティアに参加されている方々も大変にお疲れ様です。
そして暑さはこれからが本格的です。
皆様、くれぐれもお体を大切にお祈り申し上げます。

さて、私が企画した元気が出る事業「恋する城端(仮名)」ですが、そのことについて少しお話したいと思います。

以前より、石川部長の方から「元気が出る事業で何か良い案はないか?」と言われ、いろいろ調べていると、あるHPに「つくばねは恋の枕詞」とでていました。

それは、登山好きの方のHPで城端の「つくばね山」の説明の一文なのですが、
『「つくばね」とは「筑波(つくば)嶺(ね)」で「筑波山」のことでもある。
茨城県の「筑波山」には百人一首でもよく知られた陽成院の歌がある。
「つくばねの嶺より落つるみなのかわ恋ぞつもりて淵となりる」
「筑波山」はツクバネの生える山であったかどうか分からないが歌垣の山であった。
歌垣とは歌合わせのことで、山神の祭で山に登り、男女が歌合わせをして相性を確かめ合う遊びであった。正月の羽根突きと同じように、恋が生まれるのである。
「つくばね」=「筑波嶺」で、恋の山、歌垣の山として都ではすっかり有名となり、一度はいってみたい憧れの山であったという。』
と、書いてありました。

「これは何か面白いことができるのでは?」と、さらにいろいろ調べてみると、つくばね山の奥の「縄が池」の伝説に「俵藤太」と言う方が出てきます。
この「俵藤太」とは「藤原秀郷」のことで、「太平記」「御枕草子」にもでてくる全国的にも有名な方で、弓の名人であり、かの「平将門」を討ったとも言われています。
その「俵藤太」は蓑谷辺りで生まれ、母は蛇女だと言う伝説もあり、その「俵藤太」が琵琶湖の大ムカデを退治して龍女の子をもらい、縄が池に放したと言う伝説もあります。
「藤原秀郷」が蓑谷辺りで生まれたと言うのはあくまで伝説であり、日本の中に他にも生誕の地をうたう土地もありますが、小杉町の「蓮王寺」と言うところに藤原秀郷のお墓があったり(日本中他にもいくつかありますが…)、そもそも生没年がハッキリとしていないので、もしかしたら…と言ったロマンみたいなものも感じてしまいます。

また、つくばね山自体が山岳信仰において日本の何本かの指に入る程位の高い山なんだとか…。

とにかく日本の全国区に名乗りを上げられる様な要素が「つくばね山」辺り、城端にはまだ眠っている気がするのです。


せっかく城端にこんな良いハードがあるとするならば、それを活かすソフトを考えれば良いと思うのです。
その一つがこの「恋する城端(仮名)」なんだと思います。

これを機に、つくばね山、縄が池、夫婦滝、そして何より城端への関心が更に高まればと願います。


?イシムラ 石村厚志



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